スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

裁判の経過 

第一回公判   平成14年10月24日   冒頭陳述
第二回公判   平成14年12月24日   榊山院長(羊が丘病院)証人尋問
第三回公判   平成15年1月27日    松本鑑定医 証人尋問
非 公 判    平成15年2月21日    成松医師(札医大講師)証人尋問 
第四回公判   平成15年3月10日    吉村貞子 証人尋問(1回目)
第五回公判   平成15年4月17日    吉村貞子 証人尋問(2回目)
第六回公判   平成15年5月8日     吉村 敏 証人尋問(1回目)
第七回公判   平成15年6月2日     吉村 敏 証人尋問(2回目)
判決公判     平成15年11月27日   懲役2年6ヶ月の実刑有罪判決

控 訴 審    平成16年5月31日 
控訴審判決   平成16年10月14日   控訴棄却判決

上    告    平成17年1月8日     
上告審判決   平成17年10月14日   上告棄却判決
直ちに異議申し立てを行うがそれも棄却となる。

逮捕(平成14年8月2日)から3年2ヵ月半の拘置所暮しは、すでに2年6ヶ月の実刑判決を8ヶ月も上回ったにもかかわらず、まだ3ヶ月刑務所に送られることとなった。

12月6日函館刑務所にJRで移送される。

3年2ヵ月半の拘置所暮しは、ずっと独居房でまさに孤独との戦いを続けていた。頼りにしていた弁護士はこの間10数回の面会だけで、真剣に取り組んでいたかは甚だ疑問である。

平成17年2月7日、ようやく函館刑務所を出所したときの服装は外套もなく、おまけにサンダル履きというものだった。勤務時間の担当官は酒臭く、私を雪の町中に送り出した。

警察、検察の罠に嵌められ無実の罪に問われた私にとっては、余りにも過酷な試練だったと甘受するしか出来ない。そして私の苦しみは出所後もさらに続いていた。

鑑定医に電話をすると、「急死とも急死でなかったとも私は述べていない。もう電話を掛けて来ないでくれ。」と、言われた。鑑定医は証人尋問ではっきりと、「心臓内に凝血が見られるのであるから、急死ではなかったと思われる。」と述べている。

鑑定医が人の一生に関わる大事な鑑定の証言をこのようないい加減な態度で行って良いものでしょうか。検察の不正を防ぐためにも毅然とした態度が求められる。

冤罪の責任は、警察検察鑑定医に、そして弁護士にもあるものと指摘する。
スポンサーサイト
[ 2008/06/14 20:14 ] 裁判の経緯 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://noenzai.blog32.fc2.com/tb.php/3-6c255e67


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。