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マスコミは警察、検察の報復に恐れ報道しない 

私が会って話が出来たマスコミ関係は【北海道新聞社】とテレビ会社の記者であり、彼らは、【遺体は全く動いてはいない】ということから『検察調書は明らかに嘘であり捏造されたものである。』と皆認めてくれた。しかし、会社に戻り上司に報告すると何故か空々しい態度に変わるのである。事実を世間の人々に知らせることがマスコミの使命であるはずだが彼らは何故か態度を変えるのである。
現場の記者が私に言っていた。「警察の報復が恐ろしく報道出来るかどうか分からない。」と裏事情を漏らしていた。
警察、検察に不利な報道をすればいろいろと報道ソースが貰えなくなることなど、報道の自由が奪われてしまうらしい。それだけで済めば良いがもっと恐ろしいことも有り得ると言っていた。【警察は日本最大の暴力団だ】と聞いたことがあるが、それでは検察は何と言えるだろうか。私の経験から言えることは、『検察は日本最大の天才的詐欺集団である』と思う。誰にも気付かれることもなく【捏造証拠】を作り上げ、無実である者を罪に陥れるために裁判官を騙し世間をも騙すのである。

今回のように検察の【捏造行為】がバレルという失敗を彼らはしなかったから今まで世間を騙し続けることが出来ただけである。
彼らがどういう形を取ったか別として、【世間が納得出来るストーリーを作り上げ、それを裏付ける証拠を捏造したものと考えることが出来る。
「サルも木から落ちる」「弘法の筆の誤り」である、【嘘の証拠】を今回私が発見出来たものであり、世間に知られてならない事実である。
マスコミは警察、検察の報復を恐れ事実を報道しないのである
これでは戦前の報道機関と全く同じである。【軍部(警察、検察)の報復】を恐れ事実と異なる報道をしたりすることを良しとするのであろう。
正義を守る勇気ある報道機関が現れることを期待しています。
[ 2008/10/07 08:07 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

裁判前に嘘がばれることを恐れた検察 

検察は裁判が始まる前に私から本当の話が世間に漏れることを恐れ、2度の[保釈請求]を棄却するように裁判所に要求したのである。その理由は全く逆の申し立てであった。それは、「証拠の隠滅が考えられるから」というものであった。
検察は自分たちがマスコミに発表した嘘の話が私の口からばれてしまうと強調文考えたからであった。
妻を発見した時点で妻はもう既に死んでおり、[救命処置]を施すことが出来なかったということを世間に知らせたくなかったのである。私によって折角彼らが企てた嘘の証拠[母の供述調書]が捏造さてたものとばれてしまうからである。
彼らにとって私という存在は自分たちの悪事を知っている唯一の存在であり、何としても裁判が確定するまで事実が世間に知らせてはならなかったのである。一旦[有罪]の判決が下ると、2審も3審も余程のことがない限り一審の判決を覆さないということを知っているからである。
それ程2審も3審も真理を明らかにするだけの能力も意欲もない機関であることをさらけ出したのである。
事実と異なる内容で審議された事件が正しい結果を生むはずがないことはお分かりでしょう。
では、事実に従うと一体私の罪はどうなされるのでしょうか。
落下してから妻は私の母親に発見され、日頃から苛めをしていたのが原因で母にエーテルを吸わされ暴行を受け出血多量で間のなく死んでしまった。出血も終わり、凝血を起こしていた妻を発見した私が[エーテルの臭い]から母の犯行であることが分かったのである。それを隠そうと考え、[エーテルの臭い]が消えてから通報しようとしたのがこの事件の真実である。
勿論私が母の犯行を隠そうとしたことは良くないものである。しかし、妻は既に死んでおり、母親が事件の犯人であると世間に知られたら私を含め家族みんながあれこれ言われてしまうことは明らかでした。それを何とか回避したいと願い[母の犯行]を隠そうとしたのです。
この行為に対して何らかの罪に問われるのであれば私は甘んじて受けることに納得出来るのです。
[生きていた妻を見殺しにした]という事実とは全く異なる理由で出された判決には死んでも納得出来ません。
事実を歪め、重い罪を加えた警察、検察の行為は[犯罪行為]であり彼らを告発することが私に残っている人生の仕事であると考えています。
この事件は警察、検察が[嘘の証拠で罪に陥れる]という手法を数多く使っているという事実を明らかに出来る貴重なものであるのです。
事実を歪め、自分たちの成績とするため、罪に陥れることが彼らの仕事ではありません。

裁判官は検察の悪行を見抜けなかった (北海ぽすと9月号より)  

検察調書には他の部分にも悪意の込もった内容が加えられているが、そのように自分にとって明らかに不利と言える話に私が同意するはずがない。
 判事が、「前に自分自身で同意したことだ。」と言って、私を非難したが、検察によって勝手に内容を変えられてしまっては、いくら私が、「同意していない。」と抵抗しても相手にもされなかった。
 念のためにもう一度言うが、医学知識を持っている私が、生きているとはっきり分かる状態の妻の生死の確認など絶対にするはずがない。検事が後から付け加えたことによって、このような矛盾した話になったのだ。 検事、検察が調書を【改竄(かいざん)した】という明らかな証拠を残したということが分かるでしょう。
 これこそ、【墓穴を掘った】ということであり、嘘を自ら残すという【蛇足(だそく)】を検事は書き加えたのである。
 母の調書には、私が雑巾掛けをした後、2階に戻ってからエーテルを使ったという内容が書かれ、その状況を詳しく書き記してくれた。これも、【蛇足である】と指摘する。
妻の身体は動いていない 
それは、警察によって撮られた【現場状況写真】によって、妻は私が雑巾掛けをした時のままで全く動いていないことを現わしている。
雑巾掛けで出来た血の模様は床から右足の上に連続しており、全く動いていないことを示すものだ。
 しかし、調書では動いて仰向けになり、更に動いて、うつ伏せになったということになる内容が書かれていた。それも、妻が【エーテル麻酔を掛けられた後で、仰向けからうつ伏せになった】というのである。
これだけでも有り得ない話であるが、実はもっと有り得ない話があることを実証検分で明らかになる。
 遺体は私によって、階段の方に背中が触れそうな位置まで押しやり、上体をうつ伏せる形になったものである。
 その場所にこのような状態になるには、仰向けであった状態から変わるには、三分の二以上転がるしかない。
 調書の内容から言えるのは、出血多量で死ぬ数分前で、又、エーテル麻酔が掛けられた直後ということになる。  
その上、床の雑巾掛けで出来た血の模様(平行状に出来た数本の筋)が身体の移動があってもきれいに残されたということになるのだ。
 写真では、【全く動いていない】ことが示されているが、調書では、【動いた】ということが書かれている 一体どちらが正しいのか、皆さん方にも明らかだと存じます。
 【百聞は一見に如かず】の譬え通り、現場写真が真実を語っていると言える。捏造の証拠を自ら残す失態ということは、検察が提出した【検調書】は虚偽内容を書いているということである。
 母の調書にこのような有り得ない内容の調書が書かれ、私の調書では、医学知識のある私が絶対にするはずのない行為(生きていることが明らかというのに生死の判定を行ったということ)を行ったという内容が書かれていることからもお分かり戴けるでしょう。
 どちらも物理的にも医学的にも矛盾する話が、検察によって、うかつにも作られたと言える。
 平気で嘘の調書を作り上げ、それを証拠として【無辜(むこ)の者】に、【冤罪(えんざい)】を押し付けたのです。
 私が、無意味と思われた【雑巾掛け】によって【妻は動いていないという証拠】が残されたのです。
 二審では、身体が動いたとされた話は不可能であることを指摘したが、常識外れの判事によって棄却された。
最高裁には何度も【上申書】を送り、この点を検証してくれるようにお願いをしたが、一切無視したのである。
裁判所は、検察の悪事を擁護するための機関であるとしか考えられない
検察の言うことを鵜呑みにするだけで、被告の訴えを確かめようとしないことは、職務怠慢である。
刑事たちは法に疎かった私を罠に嵌め、騙し、母が述べていない話に合わせなければならないと嘘を言い、涙を流しながら、自分が【情状証人】になると約束までし、事実と異なる内容に同意させたのである。
 実際に【情状証人】になることはなく、私を騙すために口約束しただけであった。明らかに、利益供与の誘導によって不正に署名させたものであり、【証拠】にはなり得ないものだ。
これらのやり取りが記録されていたならばこのような【冤罪(えんざい)】は防げたはずだ。
 従って、取調べの際の様子をビデに撮影出来れば、このような不正行為は起こらなかったと言える。
 更に、検察調べで署名した調書が、どのような内容であったかコピーを渡されていれば【改竄(かいざん)】など起こらなかったのである。
 取調室にビデオがないことや、調書のコピーを渡さないことが、警察、検察の不正を温存させている原因である
 検事調べと言うが、決して調べというものではないのが実態であった。
 いくら否定しても、抗議しても一切受け付けない姿勢をとり、最後は根負けし、やけを起こし署名するのを待つのである。
 署名しなければいくら夜遅くなっても帰されず、思考能力が無くなる状況に陥ったところを悪用するのだ。
被告にすれば、【拷問(ごうもん)】を受けるに等しい扱われ方である。
余程このような場数を踏んだ者でない限り、検察の思い通りにされてしまうだろう。
 話が飛ぶが、母が仮釈放によって八月二十五日帰って来た。母が中山検事から受けたという取調べもひどいものだったことを知った。
それは、検事が勝手に書いた調書に署名させ、「今まで私は嘘をいっていました。」という文章に無理やり左手の人差し指を掴み、指印を押させたと聞いた。母自身が言っていない話を勝手に書き、強引に指印を押させたということである このような行為が許されないことは誰でも知っている。世間にばれないと高をくくった態度だと言える。
[ 2008/08/27 10:47 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

生きていなければ成立しなかった[保護責人者遺棄罪]のために捏造した検察の行為 

検察は義妹の話を信じ、殺人行為は私が行ったものと勘違いをしていた。そのために、当初から、私の話を聞く振りを装いながら、何としても[殺人罪]として起訴しようと目論んでいたのだ。
現場の状況を詳しく調べようともせず、「被害者は私によって、顔を殴られて背中から階段を落ちた。」というストーリーで起訴しようと考えていたのである。
この企てが分かったのは、公判が始まってからだった。それまで検察はその意図を隠し続けたのである。
母を騙し、私も殺害に関与したという【嘘の調書】を書き、署名させようとして、私の担当刑事たちを母のいる拘置所に送り込んだのだ。
たまたま訪れた母の弁護士によって彼らの目論みを聞かされた母は、「敏は関係なかった。」と拒否したが、しつこくサインするように迫ったと母は私に話してくれた。母が調書を彼らの目の前で破ったため諦めて帰ったと聞いた。

警察の鑑識もいい加減であると断定したい。
それは、【現場写真】によって、遺体は雑巾掛けがあった状態のまま動いていないことが判るというものを、そのことに全く気が付かったのである。
鑑識のミスはそれだけではなかった。
《妻が背中を下に階段から落下した》ということと、《顔に打撲の跡が残っていた》という鑑定医の証言だけで、[被告に顔を殴られて、背中から落下したものに違いない]と簡単に処理しようとしたのである。
先に述べたように、鑑識が出した資料を詳しく検討すれば、妻がどうして背中を下に逆さまに落下したか分かったはずである。
それは、現場の階段の2階にある階段ホールとの仕切りとなる[袖]の上のところに私が置いておいたレンタルビデオのカセットケースが、1階の床に転がっていた事実と、その上、2階から見て右側にある壁に規則正しく画鋲で下げられていた4個の《やしの実で出来たお面》の一つが同じように1階の床に落ちていた原因を調べれば良かったのである。

KC2A0002-2.jpg

これらの現象を検討すれば、次の事が推測できる。

1.カセットケースもお面も誰かが触れなければ落ちたりしない
2.食器を片付けるために妻はお盆に食器を載せ、左手で持っていたはずである。
3.お盆がカセットケースに触れて落ちるのを咄嗟に受け止めようとして、身体のバランスが崩れ、右手が右側の壁に触れ、その時その場所にあったお面が外れ、落下したと考えられる。
4.右壁に身体が偏り、壁にある太い[手すりの棒]に右の頬骨を打ちつけ、身体が裏返り、背中向けになり、そのまま滑り落ちたものと推測出来る。

頬に残った打僕の跡はこのようにして形成されたと考えることが出来るのである。
元々、私は自分の父親が母に暴力を加えるのを見て、「自分は父のように、力のない女性には決して暴力など加えない。」。まして、拳で人を殴ることに抵抗があり、顔を殴ったことは一度もなかった。

検察は、何が何でも妻の落下した原因を私の顔面へのパンチだったとしたかったのだ。現場の状況を全く調べることなく、間違った推測を無理やり推し進めたのである
私は右利きであり、向き合った相手の顔を殴るとすれば、相手の左の頬を殴ることになる。ところが、妻の打撲箇所は右の頬である。
もう皆さんもお分かり戴けたことでしょう。打撲傷は私が殴ったのが原因ではないことが。
右壁に下げられていたお面に触れ、そのまま身体が右側に偏り、手すりに右顔面を強打したに違いありません。その反動により身体が裏返ったのでしょう。
右手で左顔面など普通には叩くことなど考えられないでしょう。こんなことも分からない警察の鑑識は、職務怠慢と言える。
[ 2008/08/18 11:29 ] 日記 | TB(0) | CM(0)

検察の考えた作戦 

妻は既に死んでいた。」という私の証言を如何に否定出来るか、あなたならどうしますか。
2階に戻った後も妻が生きていたという証拠を見つければ良いと考えるでしょう。しかし、そんな証拠はどこにもありませんでした。
証拠がなければ、《証拠を偽造すればいい》と検察は考えたものと推測する。
私が事件現場であった1階の階段下から2階に上がった後も妻が生きていたとするには、母がエーテルを使ったという時期をこの時期にすれば可能であることに検察は気が付いたのである。
そこで考えたのは、77歳と高齢の母親を使い、検察が書いた供述調書にサインさせることだった。
母にはエーテルの使用時期に何の意味があるかなど分かるはずがなかった。
母は検察の指示通りの答弁を法廷内で、「はい。その通りです。」と述べた。これによって、調書の中身が正しいものであると認定されたのである。母は検察の指示通りすれば良いと考えていたと思われる。
しかし、たとえ母がそのように証言したとしても、実際に起きている現象から判断すると、供述内容は実際に起きていないことが誰の目にも分かる証拠が【現場写真】に鮮明に写っているのです。
それは、妻は私が雑巾掛けをした後で、調書に書かれている(身体の状態が変化して、上を向いた姿勢になっていた)というような変化もなかったということである。
もし、そのように身体が動いたというのであれば、床に残った雑巾掛けによって平行状の血で出来た痕跡が乱れていなければならない。
その上、血で出来た筋が右足の脹脛の上にぴったりと連続しており、雑巾掛けの時期の身体のあった状態のままであることも示しており、明らかに調書の記述はなかったことを示すものである。

多分、検察はこのブログを見ているに違いない。これまでのわたしの話で間違いがあれば、遠慮せずに反論して来た筈である。
多分、反論できないと考え、息を潜めじっとこのまま何事もなく時間が過ぎるのを待っているのでしょう。
だが、私は勝利の日までこの活動を辞めるつもりはないと宣言する。

警察、検察の行った詐欺行為は決して許すことは出来ない。
このような行為はけっして今回だけではなく、氷山の一角と考えるのが正しいだろう
[ 2008/07/29 13:57 ] 日記 | TB(0) | CM(0)
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